新任の先生の授業を見る。
本時のめあてが何なのか、そのための活動と内容は、そして教師の指導上の留意点は・・・。
その辺の意味をまだよくわからずに作っている指導案だ。
ひとつひとつ大事に指導してあげなければならない。
指導案は形式的ではあるが、形式の意味をよく理解して書くことによって、教師は授業を自分によく分かる形で設計できる。
人に見てもらうように書くことで、自分にもよくわかるようになる。
定められた形式で人が読んでよくわかる形で指導顔をかけるということが、自分がその授業をよく研究し、理解し、設計をすることができたということだ。
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また、新任の先生は「よい授業」についてのイメージがまだ少ない。
どのような授業が良い授業なのか、また自分の中にそのモデルがないのでどんな授業を組み立てたらいいのかがわからないのだ。
今の段階において持っている授業のモデルは、自分が子どもの時に受けた授業なのである。
先生がずっと喋り続ける授業や答え当ての授業、一問一答形式の授業などばかり受けてきた人はそんな授業のモデルしか知らないのだから自分もそのようにするしかない。
しかし先輩の先生の授業を参観したり、授業書を求めて読んだりすることの繰り返しを積み重ねていくことで、このような授業をつくりたいというモデルがいくつも自分の中にできるようになる。
そこからが教師修行のためにの第2のスタートといってもいいだろう。
そのためには、先輩の授業を見に行かせてもらったり、若い先生たち同士でお互いの授業を見せ合ったり、と言った風通しの良い中でのOJTが必要になってくる。
たくさん授業を見ることだ。そしてよいと思ったことをどんどん取り入れて自分の一部に組み込んでいくことだ。
そしてそこから、自分の授業観を作っていく。
子どものための優れた授業ができる教師になるには、若い頃いかに多くの優れた授業をみるかということにかかっているとも言える。
自分の授業を見てもらいそして厳しく批評をもらうということはとても大切なことだが、まず良いモデルをたくさん持っておくことが先だという気がする。