矢野徹さんの「ウィザードリィ日記」を読んで思い出す 1980年代のワープロ・パソコン事情

ウィザードリィ日記

毎年秋頃になると、20年前の本を取り出してきて読みます。 矢野徹さんのかいた「ウィザードリィ日記」という本です。

SF翻訳家であり作家の矢野さんは当時63歳にして、先進的に32ビットワープロ専用機オアシスを導入して仕事をしていましたが、コンピュータの世界にウィザードリィというとてもおもしろいソフトがあると聞いてさっそくPC88を導入します。

そこからはじまる矢野さんのコンピューターとソフトの遍歴を、ウィザードリィをからめながら述べてあるのですが、当時のハードやソフトの性能、それと関連した世界のニュースなどがこまかにかかれており、当時を同じように生きた者にとってとても懐かしく、そして今を見直すことができます。

今、これをガストで、小さなノートパソコン、それも40GHDDドライブ搭載、カラー液晶、7時間連続使用可、という状況で書いているのですが、こんなあたりまえの機能が20年前いかに夢物語であったか、がよくわかります。(注 この記事は、昨年2007年10月 「教師の知的生活ネットワーク」というブログに書かれたもので、そのときの執筆状況を指しています)

また、矢野さんが将来こうなるだろうと見通していたことが現在そのまま実現していることに驚きます。

 

1980年代のPCとソフトたち

なにはともあれ、当時はソフトごとにいちいちPCを立ち上げ直さないと行けない時代。まだ20メガ(!)のHDDでさえ10万を超えていた時代です。

 

プログラムディスクを、破損に備えてバックアップしたいが、ディスクがやたらと高い話や、ウィザードリィの記録をつけるのに、88とワープロを並べて記録をつけた話しなど、私も同じ事をやったことを思い出しました。(私の場合は、Might &Magic というRPGの冒険記録をつけていましたが)

アスキーの「THE WORD」や サムシンググッドの 「即戦力」「将軍」、また、「松」や「美文」などのなつかしいワープロソフトの使用記録がでてきます。

一太郎はまだ「遅い」と切り捨てられている始末。

まだ「新一太郎」の時代でした。

どのソフトも10万円くらいしていた頃。

一太郎3が5万8千円という破格の値段で売り出される1年前の話です。

 

実は、この本、当時から持っており、数年ごとにもう何度も読み返しています。

そのときどきのハードやソフトの進歩と重ね合わせながら、温故知新を繰り返してきました。

 

そういえば、20年前、この本を見て、かな漢字変換プログラムFEPは、ソフトから切り離して他のソフトに組み替えられるという事を知り、自分の98導入のきっかけとなりました。

それまでは、88のワープロソフト dbソフトのスーパー春望から、はじめてデスクトップパブリッシングという概念を教えてくれたお化けソフト P1 をつかって、仕事では十分でしたが、98にすれば思っても見ないことがいろいろとできるのだ、ということを知って、36万も出した88導入からたった1年半で41万円もする98VX21を買ったのでした。

結婚したての私の妻はよくゆるしてくれたもんだと思います。

lala

んー。まちがいだったような・・・

なんと41万だしたのは88年の6月でしたが、88年4月にSonyのワープロ専用機Produceを20万だして買っているので、結婚したての男がこの1年半に100万近くもだしたことになります。
書いていたらきりがなくなりますね。この手の話しは・・・

20年前。なつかしいなあ。

私がシステム手帳を導入して今に至る手帳システムを作り始めた頃です。

私がまだ駆け出しの頃の話。

ワープロやPCの教育利用

当時は、まだそれ自体が普及していなかったので、教育現場でPCやワープロを使うというような事例はまだほとんどありません。

教室にPCを持ち込むということ自体が夢の様な話。

まだノートパソコンなど見たこともない時代です。

パソコンといえば、大きな筐体にこれもテレビのようなモニターがでんと乗り、そこからいかめしい大ききなキーボードがくるくるまかれたコイルのようなケーブルでつながれ、さらにこれまた本体よりも大きなプリンターが他を圧倒するように構えている。

そんなものを教室に持って上がるなど、とても考えられません。

 

当時の教育利用といえば、

ワープロを使って教材をつくる

ワープロを使って指導案を作る

成績の処理(平均点を出したり、得点によって並べ替えたりする程度)

ということくらい。

 

フロッピードライブ付きのポータブルワープロが世に出て教師が教室に持ち込むようになるのは1987年頃からのように覚えていますが・・・

当時、給食時間中、子どもが休職を食べている横で、必死になってワープロで提出レポートや報告書を書いている教師がよくいました。

当時はまだ「文章を打つ」という言い方は無かったですね。

「ワープロで指導案書いた」というような言い方しかなかったように思います。

 

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