
教師3年目ともなると、仕事上の責任が増えてきたり、論文を書いてまとめたりといった「幅」が出てきます。
こうなると、スケジュール帳や、教務必携などのようなノートだけでは管理できず、勉強用のノートとか、研修の記録などを蓄積し管理していく必要が出てきました。
しかし、ノートがいたずらにどんどん増えていくだけで、なかなか蓄積したノートの有効活用ができません。
何がどこに書いてあるかわからないし、ノート自体もどこにいったかわからない。
ほしい時にはそのノートが手元にない、というようなことも頻繁にありました。
(現在は、「コンテキスト・ノート」と名付けて、むしろその状態を無理せず受け入れています)
1986年のそのころ、PC-8801と出あい、私はいっきにパソコンを使った情報処理とかデータベースとかいったものにのめりこんでいきます。
「すべての情報は、この1枚のフロッピーに!」
これがどれほど魅力的だったことか。
当時のフロッピーはまだ1M(メガ!)しかない時代。今のように、写真一枚で4メガも5メガにもなるような時代など考えられない時代。
このたった1メガのフロッピーに、A4書類が70枚くらい入ったのです。
1メガで70枚もの文章などとても考えられません。今なら1通の学級通信だけでそれくらいにはなるでしょう。いや、写真などをいれたら何十メガです。当時でいえばフロッピー何十枚分ですね。
でも、当時は指導案ひとつで5,6枚程度、提案文書をワープロで全部作ったとしてもとても70枚になんてなりませんし、それでも1メガにもなりません。
1メガにA4 70枚というのは、当時にあたってはそれほどすごい量だったのです。
それほどの量の文書がこの1枚のフロッピーに入るなら、それはもう「すべての情報」といってもいいくらいの分量。当時はそんなまだまだゆっくりした時代でした。
ここで私は当然のように「データベースの構築」ということに頭が向き始めます。これまでの流れから言って当然のなりゆきでした。
フロッピーにさえ入れておけば膨大な情報が管理できる。なくなりもせず、あとからいくらでも眺められる。「データベース!知の宝庫」なんと魅力的なことでしょうか。
味わうという観点から言うと、フロッピーに収めた時点でそれはできなくなるはずです。
しかし私の感覚は違っていました。
データという形で「味わう」のです。
「データ」
なんという魅力的な響きでしょう。
私はこうしてデータを味わうために、データベース構築にのめりこむことになります。
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