これから、6回にわたって「味わう手帳」というテーマでお話しします。
これは、今から8年ほど前に、カフェで一気に書き上げたものですが、日の目を見ないままWorkFlowyに移し、そのまま眠らせていたものです。
2年前にわたしが毎週配信しているメルマガ「知的迷走通信」で、6週に渡る連載という形でようやく公開しました。
そして、今回、ようやく当初の目的であったブログの記事として公開する運びとなりました。

手帳に「味わう」機能をつける
手帳に、「味わう」という機能を付加していた人間の記録です。
手帳やメモの機能は,備忘のためだとか,考えを整理するためだとか,知的生産のためだとか,記録のためだとか様々にあるでしょうが,「鑑賞」という視点を加えてみたらどうだろうかという一つの試みです。
私自身が,手帳にそのような機能を持たせ続けてきたといってもいいかもしれません。
手帳を「味わうもの」として見るのです。
何回かに分けて,「味わう手帳」ということについて自分自身の手帳遍歴から考えてみたいと思います。
それは高校生の頃から始まりました
私は、もともと手帳とかメモとかいうものに敏感なところがありました。
ワーキングメモリーが小さいのか、すぐに忘れるので備忘録のために手帳を持ち始め、そこにさまざまなことを書いていました。
しかし、その備忘録的な使い方とは明らかに違う使い方をする手帳を持っていました。情報の抜き書き手帳です。
高校時代から大学時代にかけて、ずっと持ち歩いていた「手帳」。
これはスケジュール管理のためのものではない、罫線のみの入ったノートでした。カバーがしっかりしていて背表紙のあるモレスキンのような手帳です。
これに、気に入った詩や、新聞からの抜き書き、おもしろい話、旅行記などを書き留めていました。そしてときおり取り出しては過去の自分の書いたものを味わうのです。
おもえば,この「味わう」という使い方を高校からずっとしてきたことになります。
この当時に書いたノートは何冊か残してあり、今でも本棚で私がパラパラとめくるのを待ってくれています。
そして、この「味わう」手帳を、それから40年近く続けていくことになるのです。