私たちは、過去の人物が書いた「◯◯日記」を読みます。

私も先日、中世近世近代合わせて10冊くらい「◯◯日記」を書いました。

 

日記はリアルな記録ですから、その時の生活の生の息遣いやら、悩みやら喜びやら、ふとした心の動きなどが迫って来て、淡々とした記録の中に、フィクションでは味わえない物語を味わうことができます。

事実を淡々と記録した日記は、歴史の事実をのぞいてみるような気がしてワクワクしますし、想いを書き並べているような日記は、人としての同一性を感じることができます。昔の人も私と同じだったのだなあと。

 

こう考えると,日記は未来の人間にとってなんらかの役に立つものであり、作者が日記を書くときには,もしかしたらそんな意図もあったかもしれません。

少なくとも、自分の子孫には読まれるだろうという気持ちはあったことでしょう。

 

ドナルド・キーンの「百代の過客」に、江戸末期のある女性の日記がでてきます。

そこには「これは,世に散らすものではなく,子孫の世に,家の今の有り方や世の中のことなどを知らせたい」という記述があります。

一般的に読まれるものではなく,子孫には知らせたい。そういう思いで書かれた日記もあったのです。

 

では私たちはどうでしょう。

日記を書くときに、誰かを読者として想定しているでしょうか。

 

おそらく、有名人でない限り、この日記は誰かに読まれるということなど想定してはいないと思います。

しかし、心のどこかで「いつか誰かに読まれるんじゃないかな」、と思ってもいるわけです。

日記というメデイアのアウトプットにおける二面性が、見られます。

見られるつもりで書いているわけではないのに、どこかでいつの日にかそれが見られる日が来ることを肯定しているか、少なくとも否定はしていないのです。

 

もちろん,石川啄木のローマ字日記のように,人に見られまいとわざわざローマ字で自分の秘密を暴露するような日記もあります。それにしても,ローマ字で書いている以上,ローマ字を読める人なら読まれるのだということくらいは分かっていたはずです。(現にその通りになっていますし)

 

それでも書きたい。自分の思いを吐露したい。でも読まれたくない。でも読まれるかもしれない。ヨマレルダロウ・・・それでも書きたい・・・

これは,アウトプット時にはたらく一種のフィルターだと言えます。

たんたんと事実のみを記録するタイプの日記作者も,自己との対話を吐露するタイプの作者も,このフィルターにはぶつかるはずです。

そのうえで,すべてのことを正直に書くのか,あるいは,削除したり表現を和らげたりして,もし読まれても大丈夫!にするのか・・。

 

永井荷風は「断腸亭日乗」を書くとき,軍人に読まれたときのことを思い,書いた文に朱を入れて表現を和らげたことがあったそうですが,後にこれを恥じて,軍への批判も正直に書いたそうです。

元禄時代のサラリーマン武士 朝日文左衛門は,事実をたんたんと描きながらも,女房にばれては困るところは暗号文字を使って書きました。

元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世

 

永井荷風の日記は,フィルターにかけずに正直に書いたからおもしろいとか,サラリーマン武士は暗号にして書いたからおもしろくないとか,そうとも言えないはずです。

私にはどちらもおもしろいです。

 

そういう吐露された,読まれたくないけど読まれるかもしれん・・と思いながら吐露した文章を,後世の私たちが読むとき,そこには,他人の心の中を覗き見るような,後ろめたいような嬉しいようなドキドキ感があります。

 

では、私はそのようなフィルターをかけているのだろうか。

ちょうど10年前。2007年の5月の日記を読んで見ました。

淡々と授業記録を書いている日もあれば、不満をぶつけている箇所もありました。

でも、書いているときには後から読まれるなど何も考えていないように想いを吐露していました。

しかし,名前は伏せてありました。ここにフィルターをかけた跡がありました。

やはり,私は自分以外のだれかからこの日記が読まれることを意識していたようです。

 

フィルターをかけながらも,未来の読者である自分にはわかるようになっていました。

しかし,今となっては、その時の不満などは全く解消しており、その時の自分からの成長を感じます。

そうすると、今持っている不安や不満などは、将来必ず解決されているはずという、未来への希望につながります。

 

自分の日記を読み物として読むよさはこんなところにあるのかもしれません。

 

吐露したいことを吐露しておくことは、未来の読者である自分への贈り物となり得ます。

少々フィルターをかけてはいても。

本の紹介

25年前の海外生活,PC事情,メモや手帳のことなどについて書いてます。

「私のシドニー派遣教員日記」
現地の児童相手になんとか楽しい授業をしようとジタバタしたことが,今の自分をどのように作っているのか。




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