私たちの教師が自由に使える時間は長くて1日に3時間程度です。しかし帰宅時間が遅いと1時間に満たないこともあります。

その中で知的生活を希求しようと必死になってやってきました。読書の時間をチリツモ読書などを使いながら確保してきたのです。

そのような生活を30年間続けてきた訳ですが、日を追ってだんだん厳しい状況になってきています。新指導要領の実施が2年後から始まりますが,今の時数にさらに1時間加わります。

子どもたちはぎゅうぎゅうです。

教師もそうです。

1時間教えるには2時間の準備と評価の時間がいる

教えると言うのは簡単なことではありません。これまでの経験とか,目の前の初見の教科書などでは教えられないのです。

私たちには授業のための準備の時間が必要です。

明日,4時まで6時間の授業をするならば、6時間以上の時間の準備の時間がいるのです。

十分な時間をかけて教材を解釈し、どのような言葉で子どもに問いかけるか考えなければなりませんし、理解を進めるための資料を準備したりしなければなりません。

また授業が終わった後は子どものノートを見たりして評価をしなければなりません。

 

教師にはそのための時間が必要であるにもかかわらず,なぜか全く確保されていないのです。

 

だから、家に帰っても夜中まで教材研究と言う日々が30年続いていますが、それがあまりにも日常化しているためおかしいと言う気持ちも全く起きないのです。

教師の多忙化のこわさ

教師の多忙化は,体と心の健康に問題をなげかけますが、それ以上に怖いのは,教師の知的成長が妨げられてしまう可能性があるということです。

 

夜中まで教材研究をすると,それをもってやり遂げたという達成感を持ってしまい、満足してしまうのです。

知的なことをやってしまったという気持ちになってしまい,その後の個人の研究活動、自分を広げたり深めたりするための知的活動をすでに終えてしまった,と感覚が勘違いしてしまう。

そうして知的な成長がストップしてしまう。これが怖いのです。

 

本来教師と言うのは子どもに教えるために氷山の下の部分のような広い知見や教養などを身に付けていないといけないのです。しかし,それらを身に付ける意欲気力意識そういうものが長い年月の間になくなってしまっていく。それが1番怖いことだと思います。

 

教師の多忙感の解消と言う事の裏には教師の知的成長という問題があるのです。

とても大切なことだと思います。

教師に余裕を!というのは,教師にもっとラクをさせてほしいということではありません。

だから,私にもっと知的生活のための時間を・・・!

本の紹介

25年前の海外生活,PC事情,メモや手帳のことなどについて書いてます。

「私のシドニー派遣教員日記」
現地の児童相手になんとか楽しい授業をしようとジタバタしたことが,今の自分をどのように作っているのか。




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