かーそるを読み進めている。Tak.さんの章を読み終えた。

編集長が巻頭言で示している,「知的生産とは、まさに私たちが日々行なっていることなのだ」ということを、TAKさんはわかりやすく示してくれる。


かーそる 2016年11月号

買い物、好きな異性への誕生日プレゼント、PCの買い替え、など、生活の様々な場面で考えて行動するのは、他でもない知的生産なのだ、と。

「自分が納得して行動するためには、自分自身を説得する必要がある」

アウトプット先が他人だけでなく,自分自身であることもありうる。つまり考えたうえでの納得ということだ。

私たちが自分自身で納得して行動している営みは,普段の何気ない生活の中における知的生産であると言うことができる。

すなわち、そこには「考える」という行動が必要だ。

Tak.さんはアウトライナーに関する著書が2冊もある「アウトライナーの中の人」といってもいいくらいの方なので,アウトライナーを使っての考える技術を提示してくださっている。

2冊の著者のおさらいをすらことができたような気持ちだ。

 

翻って,私たちにとっても「考える」ためのツールはアウトライナーでも何でもいいわけだが、そのツールは知的生産よりもさらに広い概念としてのライフの役にも立つ。

そのようなツールや技術を求めていきたい。編集長の巻頭提言記事を受けた記事だ。

「知的生産ツール」としてのリラックスノートの役割

私はTak.さんの章を読んでなるほど,と思いながら,あることを考え続けていた

それは私が高校生の頃から使い続けているあのノート。このブログでも何度となく紹介している「リラックスノート」についてだ。

【ノート】ここでようやくリラックスノートについて語る | 知的生活ネットワーク

 

 

 

「〈生活と人生〉の中で、頭を働かせて何か新しいことがらを、人にわかる形で提出するための道具と、それを使いこなすための技術」

とは、私にとってはリラックスノートなのだ、と明言できる。

 

リラックスノートでは,リラックスするために頭の中のものを紙に吐き出して行く。

私の場合はそれが文であるとは限らない。モヤモヤはモヤモヤのままで、単なるグニャグニャな線として表される。表すというよりもペンの先からほとばしり出てくるような感じだ。

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何が出てくるのかわからないところは、「知的」以前の原初的な段階だ。そこには瞑想的な感覚がある。

リラックスノートは「知的な」段階の下の潜在的な層まで一旦駆け下る。

そして生まれてきた思いもかけない考えのタネが、ノートのあちこちに芽を出す。そこからが考えるという営みの出番となるのだ。

 

同じノートの中で枝を伸ばして行くこともあれば、新しいページにセンターイメージとして描き、そこからマインドマップに展開することもあるし、アウトライナーに展開することもある。

ゼロ秒思考メモ書きとして速射して行くこともある。

何が生まれてくるかわからない原初的な段階から、その先の「考える」ための様々なツールへの展開までを射程に入れたリラックスノート。

「何かを描こうというのではなく,ただぐるぐると鉛筆を動かして出てくる形をみているだけでどんどん何かが頭に浮かんでくるのを感じることができると思います。きっとそこが入り口です。」

【ノート】ここでようやくリラックスノートについて語る

リラックスノートを入り口として,潜在的な層に降り,知的に考える層まで駆け上がってくる。そこから知的生産が始まる。

これは私にとって長いこと「知的生産」ツールとして機能してきたものだ。

ちょうど1週間前,今執筆中の電子書籍を寄り道して、あるアイデアのことをアウトライン化したと「セルパブ実用書部会」で報告した。

それが,このリラックスノートのことだった。

原初的で瞑想的なリラックスが生み出したものから様々な考えるツールへと展開して行く仕組みを持ったリラックスノートの役割。

リラックスノートについて著すということには価値がありそうだ。

TAKさんの章を読んでそんなことを考えた。

本の紹介

25年前の海外生活,PC事情,メモや手帳のことなどについて書いてます。

「私のシドニー派遣教員日記」
現地の児童相手になんとか楽しい授業をしようとジタバタしたことが,今の自分をどのように作っているのか。




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