デジタル日記を1988年から28年間続けてきて,さまざまな紆余曲折やほんのちょっとの苦労があったわけですが,それだけやってきていったいどんないいことがあったのかということを書いています。

日記を続けていると何がいいのか 第1回 埋もれてしまっていたものの再発見 | 知的生活ネットワーク

今日は第2回目です。

自分の人生30年近くの記録がいつでも見られる形で残してあることからくる自信

自分の人生30年近くの記録がいつでも見られる形で残してある。このことからくる自信は確実に存在します。

たとえば,1996年6月3日の日記に、

「勉強 今日から、ちゃんと毎日1時間勉強時間をつくる」

と書かれています。そして勉強の内容がそれから数日間、日記に書かれていました。

その後なぜか唐突に消えてしまいます。忙しくてそのまま忘れてしまったようです。

でも、その後、勉強についての記事は日記に繰り返し現れるのです。

平成19年8月の夏は勉強の内容として,指導要領を一生懸命に読んでいました。

平成19年8月15日(水) 朝勉強
ボールペン習字、Aus指導要領日本語訳 教育法規アラ読みによる読み通し了。指導要領2回目黒線引き読みにはいる。 勉強するには朝の時間が大切だ。

平成24年7月24日の日記には,「勉強」のとらえ方の更新をし,指導要領を読むこと自体が勉強ではないと考えたようです。

★若い頃は指導要領を一生懸命に読んで勉強と考えていた。しかし、時間の無駄であった。あれは単なる事務文書であって、そこに深い教育観があるわけではない。流行り廃りのあるものを一新に追い求めるのが勉強であるはずがない。市役所の役人がいうところの勉強という意味にすぎない。9:23

★自分の教育観を鍛える本を読むのが良い。教育学上の古典であるとか、社会学、心理学なと、教育者としての土台をしっかりと作るものが良い。また、大村はまのような人の著作集も良い。しっかりした教育観に支えられた教育実践があるからだ。何々理論はそれらと並行して読めば良い。指導要領などは、必要な時に参照すれば良い。仕事に必要な事務文書であるから、新しい単元やら題材やらに入る時に価値や位置づけや必要事項なとを確認する意味で仕事上の必要感を持ってたんたんと、しかも確実に読めば良い。そのうち空で覚えることも出てくるだろう。指導要領を読むとはそういうことだ。9:28

★指導要領を読むことを持って勉強というのは、指導主事か、教育学者か、解説書を書く著作者くらいのものだろう、9:30

なんだか決めつけていますが,きっと自分の中でさらなるジャンプを必要としていたからでしょう。ちなみに,それから4年たった今では,やはり日々の教育者としての基本勉強としての指導要領読みはしています。ドラマーやギタリストが毎日2時間も3時間も,本格的な練習前の基本練習として基本の8ビートを延々とたたいたり,ドレミファのスケールを延々と引いたりするようなものでしょう。

今もそうですし、そうやって勉強し続けてきたからこそ今の自分があります。

そして,そのあとが,28年分の日記の中に詰まっています。

過去の自分が考え行動したことは自分でさえも覚えていない

90年代の最初頃に自分が何を考えどのように行動したのかなど、世界中の誰も知りません。もちろん当の私も知りません。

しかし、そこに紛れもなく当時の自分の手で打ち込んだ気持ち、考え、行動を見たとき、私は確かにその時そこに生きて生き生きと活動していたのだと思います。

そんな自分がいたから今の自分があるのだ、という明確な自信が湧いてくるのです。

そして、そういう自分を大事に思います。私は今生きている私だけではなく、過去連綿と生きてきた私の集大成なのだと実感します。

2008年にこの写真を撮ったとき,私が何を考えていたのだろうか。だれも知らない。

2008年にこの写真を撮ったとき,私が何を考えていたのだろうか。だれも知らない。

次回は,「積み重ねの実感と自信から,未来をおそれない」について述べたいと思います。

本の紹介

25年前の海外生活,PC事情,メモや手帳のことなどについて書いてます。

「私のシドニー派遣教員日記」
現地の児童相手になんとか楽しい授業をしようとジタバタしたことが,今の自分をどのように作っているのか。




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