01 知的生活を支える生き方

【独言】ここ十数年,退屈ということをしたことがないと気づく

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先日来、ピース又吉の「夜を乗り越える」を読んでいる。面白い本を書いてくれたと思う。一気に読んだが、じつに内容が濃い本だと思った。

又吉が、太宰治が面白いというものだから、私も1つ読んでみようと思った。昔から読まず嫌いだった作家。走れメロスくらいしか読んだことがない。そこでKindleの太宰治全部入りを買って読み始めたら、これが確かに面白い。なんでもっと早く読まなかったのかと思ったが、いやいや、今読むから面白いのだと思い直した。前に読んでいたら、きっと面白いとおもわず、読まず嫌いではなく、面白くない作家と感じてしまい、その後読むことはなかったろう。きっと絶妙なタイミングで私は太宰治に再開したのだ。走れメロス以来の。

さて、その中に、長じた兄弟姉妹たちが集まって、お話を作り合う話がある。とても興味深く、昔はそんな知的な遊びをする人たちがいたのだと羨ましく思った。読んでいると,「退屈」という言葉にぴんと引っかかるものがあった。なぜかはわからないが。その引っ掛かりを追ってみると,次のような問いが浮かんだ。

わたしはここ数年の間に退屈ということをしたことがあるだろうか。

することがなく、暇を持て余す。そんな贅沢な心持ちをしたことが、この数年、いや十数年のスパンで思い返しても見つからない。

講演や講義などで、これは退屈な・・・と感じたことはあるが、その時はさっと頭のスイッチを入れ替えて、いかにもその講義を聞くふりをしながら、iPadのアウトライナーで何やらアイデアを書き始めるのである。だから退屈までには至らない。退屈どころか、降ってわいたような創作のための貴重な時間であり、その講師に感謝したいくらいだ。

思い返せば、わたしが退屈したと記憶している最後の出来事は、連れ合いの親戚の初盆に行った時のことである。

お昼をいただいてから午後6時に帰るまでの6時間、何もすることがなかった。あまりに暇すぎておかしくなりそうなので手伝おうとすると、旦那さんを大事にせねばならないと思っている親戚の皆さんは、「ヤァヤァ、どうか座っていてください」と言って、わたしに何もさせない。泣きそうな顔で、お願いだから何かさせてくださいと言っても取り合ってくれない。こんなことになるとは思いもしなかったので,本の一冊,ノートの一冊ももってきていない。後の祭りだ。どうしようもなく,つらい思いで時間の過ぎるのをひたすらこいねがった。

確かにあの時は地獄のような退屈を味わった。もう25年ほど経つのに、未だに身の毛がよだつほどの思い出として残っている。

どうもそれ以後、私は退屈をしていない。でかけるたびにスケッチブックやノート、本などをわんさか持って行くようになったからだとは思うが。

また、スマホどころか携帯もない時代。

ここで,はっと気づく。

スマホやiPadのある現在,ここ数年退屈を味わったことがないというのは私だけではないのではないだろうか。

もしかしたらこの世の中から「退屈」というものが消えようとしているのではないだろうか。

そう思うと,退屈ということはなんだか人間の脳やなんらかの器官にとって,実は大切なものであったのではないかと感じ始めた。きっと退屈ということがなくなったら,身体のどこかがおかしくなってくるのではなかろうか。

そう思うと,久しぶりに退屈してみたいという気持ちにもなった。







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