私は気持ちがコロコロと切り替わる人間だ。

絵を描きたいと切望していたかと思えば、読書熱にほだされる。

音楽を作りたいと息急き切って帰ってきたのに、書斎の机に着いた途端ブログを書きたくなる。

昔からこうで、何か1つしか趣味や、興味のない人に比べてはるかにその成果において少ないと思う。何か一つに打ち込んでいれば。その一つしか選択肢がなければ。そのくらいのつもりで,今やりたいことに集中してひとつひとつ作り上げていければ,どれだけ成果を出せるだろうか。

それなのに気分がコロコロかわるおかげで,未完了でおわっていることがどれだけあるだろうか。

私に必要なのは、この気分コントロールなのだ。

バスの中でこれを書いている。今の気分は一刻も早く家に帰り、キャンバスに絵の具を塗りつけたいという気分だ。

これが、帰った途端、Youtube見たい、放り出している本を読みたい、写真の整理をしたいと思うに決まっている。今までがずっとそうだったからだ。今の、油絵を描きたいという気分をずっともたせ続けるにはどうしたらいいのか。

これはひとえに、気分で行動するのか、自分との約束で行動するのか、という問題だ。

そう、僕には自分との約束を平気で破って今の気分通りに行動する、という昔からの行動の癖があるのだ。

人との約束は血眼になって守るのだ。それと同じくらい自分との約束を守れないものか。

本来たすくまやTaskchute,フランクリンプランナーは、そんな私のためにある。自分との約束を最優先事項として予約してしまうのだ。

だが、残念なことにこれがうまくいくときといかない時がある。いかにたすくまやフランクリンプランナーといえども、「あー自分との約束?、やぶっちゃえ、やぶっちゃえ、そして今したいことをしちゃえ。」という私の気分を打ち砕くのは難しい。「したいことしたいよー」という気分に取り憑かれてしまった私には、優先事項という約束などないにもひとしいのだ。

これを打ち破るための唯一の方法としてこれまで頼りきってきたのが瞑想。瞑想をすればいろんなことがリセットされる。気分も例外ではない。

だがしかし。

瞑想といえども万全ではない。気分というのはくせもので,「もういいや」と思ってしまえば,もういいになってしまうことがとても多く,リセットするために行おうと思っている瞑想自体をやめてしまい,したいことをしてしまう。

こうやって,私に葛藤の中で30数年の時が流れ,その長い葛藤の時を経て,とうとう私は満を持して気分のコントロール自体を放棄しようかという偉大な決断をしようとしている。

気分によってどんどんやりたいことを変える。これを「方法」として価値付けてみるとどうなるか。

くるくると気分が変わって、絵を描いていたかと思えば音楽に没頭する。

紙に字を書くことに夢中になっていたかと思えば、ひたすらデジタルでのメモ取りに気をくばる。

1時間読書をしたら,次はブログを書く計画だったのに,読書ばかりで終わった。

このような行動の性癖をこれまでの私はダメだなーと思っていたが、いっそ思い切って肯定し,そのようにするのだ,と思っててみたらどうかというのだ。

「絵を描こうと思って帰ってきたが,急に音楽をつくりたくなった」とか

「油絵かいてたけど飽きた。映画を見よう」とか。

いいんだよ。それで。

「もう今週は徹底的にテレビを見尽くすぞ」とか、

「今週は絵ばかり描いて過ごしてしまった。」とか、

「すべての時間を読書に捧げた日だった」とか、

「ブログの記事を20個くらい描きためたわ。」とか。

いいんだよ。それで。

上のような様々なことのあとに「だめだなー」と思っていたのを封印して「それでいいんだよ」と思うことにしたら。

「一旦絵を描き始めたら別のことをやりたくなるまでずっと絵ばかり描く」「ブログを書いてたけど,3分で飽きてイラストを描き始める。」それでいいと自分と約束する。やりたいことが3日続こうと、3分しか続かなかろうとそれでいい。すべてのやりたいことをやる時間をポジティブに肯定する。すると、何が起きるのか。

たすくまには、「インプット、アウトプット」とだけ予約しておいてそこで何をするのかはその時の気分で自由。何をしたのかのログは取るけど。

こうして起こることを楽しみに待っていようという気になった。

本の紹介

25年前の海外生活,PC事情,メモや手帳のことなどについて書いてます。

「私のシドニー派遣教員日記」
現地の児童相手になんとか楽しい授業をしようとジタバタしたことが,今の自分をどのように作っているのか。




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