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【所感】本屋が街から消えていく

知的迷走日記保管庫

20数年前、劇団四季が福岡の新しく出来た埋め立て地にキャッツシアターを立て、半年ほど上演した。ミュージカルを始初めてみて、とても感動した。同時に、福岡にもこのようなミュージカルをいつでも見られるような劇場が欲しいと思った。

半年してキャッツシアターは引き上げて行った。その頃聞いたのが、キャッツシアター建てること自体が劇団四季とって冒険であったということだ。
福岡では劇は当たらない。福岡には観劇文化は根付かない。そのように考えられていたというのだ。
しかし、当時、九州道が整備され、九州全部からの客が見込めるようになったからなんとかやれるのではないかとの判断でシアターの建設が決まったとのことだった。とても悲しい気持ちがした。九州全体の力を借りなければ福岡には劇場もできないのか。福岡の文化が舐められているのか、それとも本当に福岡の文化というのはその程度のものなのか私にはわからなかった。

その後、ようやくキャナルシティに四季の常設劇場ができて、やっと福岡の文化も認められる時が来たと思った。

ところが、数年前に撤退。福岡から劇団四季はいなくなってしまった。なんでもっと見に行かなかったのだろう。私は取り返しのつかないことをしてしまったと思った。

幸い、先ごろ2017年から3年間の常設が決まったとのことだが、これを最後のチャンスと思って、わたしも足を運ぼうと思った。

さて、わたしの住む街から、本屋が撤退した。
郊外型中規模書店だったが、今の住所に住むようになってから20年以上、わたしはこの本屋にお世話になってきた。走っても5分程度のところにある。まだわからないことはインターネットで調べるという時代ではなかった頃、夜中にわからないことができるとすぐにその本屋に足を運び、調べ物をし、そして買い物をした。夜中の1時まで空いていることの便利さを痛感した。ここで一体何冊の本を買ったことだろうか。

少なくとも、、毎週一冊は平積みになっている中から選んで買っていたし、グラフィックデザイン関係のちょっとお高い本もよく買った。TOEICを、受けるための勉強を始めた時は、参考書や問題集、辞書などもよく買った。ビジネス所のコーナーに足を運んではライフハック関係の本を読みあさり、買い漁った。マインドマップはこの本屋で初めて知ったのだ。

その本屋が撤退した時、わたしはこの地域の住民が見限られたのだと思った。劇団四季が福岡からいなくなった時と同じ感慨だ。

わたしはここからたくさんの本を買った。しかし、この地域の人たちはさほど買わなかったのだ。

これで、わたしの住んでいる地域ではTSUTAYAなどの、大手書店が、二つ残った。街の本屋は淘汰されてすでにない。店主のおじちゃんと、「今月号きた〜?」というような会話とか、「立ち読みは禁止だよ」というような注意とか、子どもが街の書店でのそんなコミュニケーションの中で育つ機会はもうない。

店主や店員から本についての様々なうんちくをきかせてもらう機会もなくなった。そのような密なコミュニケーションは、逆説的だが、むしろジュンク堂のようなら大型書店の店員が得意だし、よく勉強している。読者のジャンルを広げてくれるような紹介の工夫、努力もしている。1日いても飽きないし、毎週のようにディスプレイが変わって新しい本に出会えるから一日中いたくらいでは追いつかない。でもそのような本屋は、、街の中には無くなってしまった。

そのような状況を憂慮して街の本屋を立ち上げる人も出てきた。嬉しい限りだ。
そしてこれが最後のチャンスだと思う。町中みんなでその本屋を支えて、街の本屋の文化を繋げていかなければならない。
商店街などを歩いていて、まだ頑張っている街中本屋があったら覗いて何か話をし、そして本を買おう。

この記事は、Memoflowy で書きました。

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