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【システム手帳】私の仕事にはシステム手帳が必要だった

知的迷走日記保管庫

「システム手帳のリフィル術」をアマゾンで買った。

システム手帳のリフィル術 (アスペクトブックス)

これは1987年、私がシステム手帳を使い始めた頃にあれこれ集めた関連書籍の中の一冊。いつの間にか書棚からなくなってしまっていたものを今回買い直したものだ。

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ワープロとシステム手帳の設計思想が同じだから、二つは容易に連携できるということを当時、西尾忠久さんが言っているが、流行り始めた当初にすでにそのようなはっきりした軸を持っていた人がいたことに改めて感銘を受けた。

つまり,システム手帳もワープロも,並べ替えや移動,検索という作業が可能であり,これらを繰り返しながら,自分なりのシステムや文章を構築していくものだ。さらにどちらもデータベースである。

いつの時代にも、何か新しいものが出てきたらその本質をズバッと捉え軸に据えることができる人がいるものだ。

ワープロはみんなに必要だった

私がシステム手帳を購入した1987年の12月から1988年の正月にかけて,私は一日中携帯して並べ替えたり,リフィルを入れ替えたり,さんざんいじりまわしたものだ。だから,西尾氏がいうワープロと設計思想が同じという感覚がとてもよくわかる。

私がワープロを始めたのは1985年の5月ごろで,それは学校に寄贈された小さなCRTつきのポータブルワープロだった。

まだまだ1行か2行程度のディスプレイが主流だった当時のワープロは,私にはまったく魅力的ではなかった。目新しくてやってみたいとは思っていたが,1行や2行では使えない。それが何らかの生産に結びつくとは到底思えなかったのだ。

しかし,CRTの広い画面で入力,編集してみると,一瞬にして私の眼は開かれた。

アウトプットされた文章が広く見渡せ,どこを削り,どこを修正し,どこに付加しないといけないのかが手に取るようにわかる。初めてワープロの重要な機能である,削除,コピー,移動といった機能は,広い画面であることによってはじめて「使える」機能として意味を持ってくるのだ。

私はそのワープロを借りて帰って,それこそ夢中になってさわりまくり,寝床にまでもっていって寝ころびながら文を打つというなんともこれまで考えたこともなかったような体験もした。

私たち教師は授業を行うためにその設計図をつくる。

一般的には「指導案」と呼ばれ,その教材のさまざまな観点からの価値,児童の実態とそこから考えられる指導の方法,具体的な時間ごとの計画などが考え抜かれたうえで書かれる。

これを参観者に配り,授業を見てもらって辛辣な批判を浴びて悔しい思いをしながらそれを乗り越えて教師は成長していくのだが,それはおいておいて,この指導案を書く膨大なエネルギーと時間は,かつては印刷のためのFax原紙にペンで書き,無駄な部分は消しゴムで消して,後の部分をカッターで切ってきて消した部分を詰めて貼り,挿入せねばならないときはこれもカッターで切って分離し,その間に別の紙をくっつけて書き加える,といった手作業に費やされた。

その中のある言葉,たとえば「消極的」ということばを「熟慮的」というリフレーミングされた言葉に直すとき,最初から最後までその言葉を探し,修正液で消して上からボールペンで書き直した。それでも探せずに修正し損ねたものが残っていたりもした。

それらがみんな,ワープロで一気に解決できると知った時のすごい感動は今でも強く残っている。削除,挿入,移動,そして検索・置換。

まだまだ,ワープロは清書機だと思われていた時代,指導案をワープロではじめて打っていったとき,実はその指導案を打つ過程で,画面上の操作で切り張り等の編集がすべて行なえたうえでこの清書としての指導案があるということに思い至る人はまだいなかった。

「たかが清書に何十万もお金をだすなんて。指導案は一文字一文字ペンで書くから頭に入るんだ」と言われもした。(いや,かつて私もそう言っていた)

そういう人に,「いや,ちがう。ワープロは清書機ではない。知的生産のためのすごい道具だ」ということを伝えた。

別にワープロを伝道したかったわけではないが,教師は知的生産活動を日常的に行うのだから,ワープロを使うべきだと思っていたのだ。

そうして職場にワープロで指導案を書く人が少しずつ増えていった。1989年ごろからは爆発的に職員室にワープロを持ち込む人が増え始めた。

ワープロは,その基本機能によって,今まで以上に知的生産に役立つということがわかりやすかったのだ。

システム手帳は私には必要だった

ではシステム手帳は,というとこれはそうはいかなかった。

1988年に本格的に使うようになってから,システム手帳の良さを周りの人に話してみた。

みんな珍しく話を聞いてくれ,設計思想は同じだということは理解してもらえたが,だから私も導入しようとはならなかった。買った人はひとりだけだった。(その人も半年もせずにやめた)

それはシステム手帳の設計思想が各人の必要とするシステムにどうこたえうるかという問題であって,知的生産のためにはワープロが必要だというほど自分の必要としているシステムにシステム手帳が訴え得なかったからではないかと思う。

私は自分の仕事用の手帳に「記録」を必要とした。

また,「データベース」を必要とした。

この2点でそれまで使ってきたさまざまな手帳よりもはるかにシステム手帳が意味を持つものだと思った。

普通の手帳にメモはできるが,カテゴリ別に分類・並べ替えをすることはできない。手帳が何冊にもなると,あの時のメモがどこにいったのかわからなくなる。

しかしシステム手帳であれば,書いたメモを抜き出してカテゴリ別に分類し,あるいは2冊目のデータベース専用システム手帳に綴じて置き,必要な時に検索して再利用することが可能。つまりデータベースにすることができるのだ。

「必要なことをメモし,カテゴリ別に分類して並べ替え,すぐに検索できる形で保存しておく」

私に必要なそのようなことができる手帳はシステム手帳しかない。

だからシステム手帳を使うことが私にとって大いに知的生産に役立ってきた。

私の仕事にはシステム手帳が必要だった。

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