少し仕事の内容がかわってから、午後10時すぎの帰宅が多くなりました。多くなったというよりほぼ常態化しています。

これまでは比較的早く帰宅できることが多く、午後10時には食事もランニングも日次処理もほぼ終えて、寝るまでの2時間を勉強や読書、生産活動にあてることができていました。

しかし今では食事を終えて風呂にはいるともう11時というような状態になっています。

このままだらだらとすごすと、まさにハマトンの言う、

「高度な知性もより低次元の、しかし目前の事態には即効力を発揮する実務的技能に自由に活動する余地を奪われてしまう」

という状態になってしまいます。

「こんな時間になるまで仕事をしたんだ。よくがんばった。気持ちがすっきりしている。寝るまでの1時間はゆったりしよう」と思ってしまうのです。

知的生活が実務処理に駆逐されないために 
高度な知性もより低次元の、しかし目前の事態には即効力を発揮する実務的技能に自由に活動する余地を奪われてしまう …

「仕事で遅くなり、満足してすっきりした」まではいいのですが、

「だから、残りは勉強時間だ」とか「著作をしよう」「絵を描こう」など前に進む生活をしなければ、仕事に知的生活が駆逐されてしまったということになるのです。

そこでどうするか。

からづくりに中心をおいた知的生活の推進

私は、「からだづくりに中心をおいた知的生活」を推進しようと決めました。

なにかというと、帰ってからは、食事をした後、ランニングに出、体幹トレーニングをし、ストレッチをしてぐっすりとねようというわけです。

「なんだ、読書も著作も絵もないのか。それのどこか知的生活なのだ」といわれるかもしれません。

これには、ジョルジュ・サンドの次のような話で納得していただけるでしょう。

「ジョルジュ・サンドがいつまでにこの原稿を、と頼まれた時のこと。かなり大変なスケジュールで、普段はそのような無理な注文は受けないのだが、その時には引き受けた。彼女がどのようにして過酷なスケジュールの仕事をこなしたかというと、午後の仕事の一部を夜に回して、数時間散歩をする時間を確保したというのだ。この話は示唆にとんでいる。普通は忙しいと散歩する間も惜しんで仕事をしようと思うものではないか。しかし、彼女は逆をした。忙しい時、この場合は頭脳労働なわけだが、そんな時ほど適度な運動が脳を活性させ、効率的な頭脳労働ができることを彼女は経験から知っていたわけである。」

〜ハマトン「知的生産」より

ジョルジュ・サンドと散歩 

ランニングをしていると、もうろうとした状態になります。

さまざまなことが頭のなかを流れていきます。さまざまな考えの種が次々に生まれたかとおもうと、ある種がだんだん育ち、そうしたかと思うと、また別の種があらわれそれが今度はそだっていく。そしてとっかえひっかえいろんな種が勝手に頭に現れては少しそだってまた次の種が現れる。

こうして、体の運動とともに、脳が活発にはたらいていることがわかります。ランニングをして体を動かすということは、脳を活発に動かしているのと同じことなのです。

それだけではなく、ランニングにより基礎体力が維持されます。体幹トレーニングで体幹の筋力も維持されるので、来るべき読書や勉強の時間にむけて姿勢を正しくして長い時間集中できる土台を身につけることになります。

 

「健康な体づくり」は知的生活の大事な土台なのです。貝原益軒も「養生訓」の中で健康な生活がいかに大切かを述べています。

そういうわけで、今私は、「10時までに家に帰れればいいや、そしてランニングができればいいや」と慌てずに仕事を進め、帰ってからはゆったりと4kmほど走ってから体幹トレーニングやストレッチをしてからぐっすりと寝る日々を過ごしています。

そのうち、ゆったりと読書や絵ができる時がきた時のための土台作りです。

 

本の紹介

25年前の海外生活,PC事情,メモや手帳のことなどについて書いてます。

「私のシドニー派遣教員日記」
現地の児童相手になんとか楽しい授業をしようとジタバタしたことが,今の自分をどのように作っているのか。




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