過去日記

【写真】1994年2月7日の日記 ◆シドニーを襲ったブッシュファイヤー N.S.W大火災 等

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今日は、過去のデジタル日記に書かれた2月7日の記事からご紹介。

最初はちょうど20年前の今日、1994年2月7日。デジタル日記に書いた記事です。

日本の子どもたちに「シドニー通信」をひと月に一度送っていましたが、それをちょうど今日のデジタル日記の内容として書いていました。当時、日記はデータベースとして蓄積していたため、このような記録もすべて日記に入れていたのです。

1994年2月7日

子どもたちへのシドニー通信>◆毎日暑くてたまりません

ブッシュファイヤーの時ほどではないですが、毎日暑くてたまりません。

こちらは「ノーハット・ノープレイ」と言って、帽子をかぶらなければ外で遊んでは行けない決まりになっている学校がほとんどです。それほど陽射しが強いのです。

ほんのすこし肌を火にさらしているとすぐにひぶくれができます。本当です。11月頃、ソフトボール大会で1日中外にいたら、顔が膨れてしまってどうにもなりませんでした。

曇の日でもかぶるようになっています。どうしてかというと、紫外線(4年の国語で習いましたがおぼえているかな?)がかなり多く降り注いでいるからです。

先日、曇の日に外で20分ほど体育をやったのですが、私は準備に追われて教室に帽子をとりに行く暇がありませんでした。そこでそのままやったのですが、なんとひたいが真っ赤に晴れ上がってしまったのです。

低温やけどのような状態になったのでしょう。今自家中毒のような状況です。

日に焼けて悪くなったたんぱく質が体をまわっているのではないかと思うのですが、あちこちにじんましんのような腫れ物ができて困っています。

こちらの陽射しは本当に恐ろしいです。ひふがんにならなければいいがと心配しています。

20年前の今日は、シドニーで2年目を迎えていました。あまりの日差しに毎日びっくりしていたことをおぼえています。火ぶくれも本当なら、強い日差しによる皮膚がんの心配も本当でした。

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3mはありそうな巨大なひまわり

子どもたちへのシドニー通信940201>まめまきフェスティバル

1,2年生には5大フェスティバルがあります。何だか分かりますか。

1 こいのぼりフェスティバル

2 七夕フェスティバル

3 クリスマスフェスティバル

4 まめまきフェスティバル

5 ひなまつりフェスティバル

 この5つです。

なんだかたいそうな名前ですね。これは日本の文化をオーストラリアの子どもたちに紹介する意味もありますが、もっと大切なねらいは日本の子どもたちに自分達の文化を分からせることにあります。

こちらでは何もしないと本当に日本のことを何も知らずに育ってしまい、「日本人は日本人でも日本人ではない」日本人に育ってしまうのです。そこで季節の節目に行われるお祭を学校で行うことで、「これが自分の国、日本の文化なんだなぁ」と分からせてやらなければならないのです。

まぁ、しかし限界もあります。

まいた豆はアルミをまるめたものですし、後で配った豆は落花生ですし。

どこかちょっとちがうまめまきですが、これがシドニー版のまめまきです。

でも、「どうしてまめをまくのか」なんてあまり考えたこともなかったけれども、こちらにきて勉強になりましたね。

当時は、なんでオーストラリアにいるのに、日本のおまつりをしないといけないのかなと思っていました。オーストラリアの人に紹介するならわかるのですが、日本の子どもたちの授業で演るのです。オーストラリアだからこちらのお祭りをすればいいのに、と思ってました。

でもちがっていたんですね。将来日本に帰る子どもたちだからこそ行われていたのです。こちらにいる間に日本のことを忘れてしまっていては困るということから始まったんですね。

子どもたちへのシドニー通信>◆ブッシュ・ファイヤーの後遺症

ブッシュ・ファイヤーに際してはたいへん心配をかけましたね。私の家も、子どもたちの家も何とか大丈夫でした。

学校に行く道の両側はどこまでもひろがる青いユーカリのブッシュ(森)でした。本当に海原のようにどこまでもうねうねと地平線まで続いているのでした。いつも通勤するときにその風景を見ながら、広い広いオーストラリアの大地を感じていました。

今、そのほとんど全てが黒か茶色になってしまいました。真っ黒に焼け焦げた木々の中に何とか焼けることから免れた家がポツンとたっていたりします。本当にこわいものです。これだけの木がやければ、その勢いの前に、人間は全く何もできません。ただ、少しでも火から家を守ろうと屋根に登って水をかけることができるくらいなものです。

私のクラスの子どもの家ではとうとう避難勧告がだされて家族みんなが避難したのですが、お父さんだけが残りました。そうしたら屋根に火がうつって燃え出したのです。そのお父さんは必死で水をかけて火から家を守りました。それで何とか家が焼けることなくすんだのでした。もしいっしょに避難していたらと思うとぞっとします。

いつ風向きがこちらに向くかと不安な毎日でした。四方八方を巨大な煙に包まれ、主要道路は全て封鎖され、私たちはどこにも逃げ場がなくなってしまっていたのです。

その中を火だけが勝手にあばれまわりました。

空からは黒こげのユカーリの葉っぱか次々に降り注いで来ました。そんな中で、じっとしているほかありませんでした。

この火事で多くのカンガルーやコアラが焼け死んでいます。

1993年の暮から1994年のはじめにかけてニューサウスウェールズを襲った、ブッシュファイヤー。大火災のさなかにいました。

市街地はユーカリの林で取り囲まれていますので、これに日がついたら逃れることはできません。ユーカリには揮発性の強い油が含まれているため、一瞬で燃え上がり他の木へ燃え移っていくのです。聞いた話では、風の強い日などは時速40km以上の速さで炎が走るので、人の足では逃げることができないとか・・。

その中でカンガルーやコアラたちがたくさん死にました。

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私の住む住宅街から見た煙。市街地は四方をこの煙の柱に取り囲まれた。逃げるすべはない。消えるまでじっとしていた。

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学校に行ってみた。すぐ裏がクーリンガイチェイス国立公園であり、それが火に襲われている。あまりに広大すぎる火事。

 

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火がようやく消え、うっそうとしげっていたブッシュの向こう側が透けて見える。この中で、たくさんの動物達が焼け死んでしまった。

 







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