05 人と話をする

ひょんなとこから見知らぬ人のカウンセリングをすることになっていろいろと考えたこと

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いつものように早朝のファストフード店に行き、隅っこの人があまりいない所に座って先週の振り返りと「週記」を書いていたんです。

そうしたら、年の入ったお母さんと、その母親らしきおばあちゃんが入ってきました。テーブルに着くなりお母さんのほうがおばあちゃんに厳しい口調であれこれ指図を始めました。「こうしなさいっていってるでしょ!」「なんどいったらわかるの!」 小声ですが、矢継ぎ早にそんな声が聞こえてきます。どうもおばあちゃんは認知症のご様子。お母さんの方はイライラしているのが伝わってきます。「うわあ・やだなあ・・・」そう思って様子を見ていました。

となりのテーブルのお客さんがケーキを半分残して席を立ちます。お母さんがジュースを取りに行っている間に帰って行きました。例のテーブルのおばあちゃんの横を通る時、おばあちゃんに軽く会釈をしてでていかれました。きっと私と同じ気持。こんなところでまであれこれ厳しく娘から指図されて立場のないおばあちゃんに同情し、こころがいたかったのでしょう。

そのうち、お母さんのほうが戻ってきました。また小言が始まります。それもだんだんエスカレートしている様子。小声が小声でなくなってきます。そうして・・・

とうとう手が出ました。向かいに座っているおばあちゃんの頭をはたいたのです。

「なんてことするんだ」私はとうとう席をたちました。こんな公共の場所で自分の母親に手を出すなんて。周りがどんな気持ちで見ているかわからないのか。あまりにひどい仕打ちじゃないか。そのように思ったのでした。「やめてください!見ていて心が痛みます」とお母さんにいいました。するとお母さんはきっと私を睨みつけ「なんですか!関係ないじゃないですか。ほうっといてください!」「関係ないことはない。手をだしたりしたら通報しますよ!」「関係ない人はだまっててください!」「私も客ですよ。まわりで見ていて心が痛みます!」そういうと「わかりましたよ!」と吐き捨てるように言いました。

私はとりあえず席に戻りましたが、お母さんはますます興奮しています。そのうち「あなたがそんなだから、こんなことになるのよ!」「あなたが私にどんなことをしてきたとおもってるの!同じことを今娘からされてるのよ!」「いかにあながだめな人か、あの気になる人にみてもらいなさいよ!」などと大きな声になっています。これはもう私がいないほうがいいかもしれないな、と思いました。しかし、このお母さん、きっとこれまでつらい目にあってきたんだな、ということもわかりました。

荷物をまとめて出る間際に「私はこれで失礼します」というと、お母さんはきっと私を睨みつけました。

しかし、「お母さんもつらいことがあったんですね。」といった一言でがらっと空気が替わるのを感じました。

そのお母さんは堰を切ったように見ず知らずの私に、これまでいかにこのおばあちゃんからひどいことをされ続けてきたか、どれだけ大変な目に遭いながら今があるのか、そして今もこの状況から逃げたいけど逃げられない、自分の母親だから、ということとか・・・そういうことを私に話しだしたのです。

「あ、これはもう、この人の話を聞かなくちゃ」と思いました。

あとは、このお母さんの話を「うん・うん」とひたすら聞きました。

途中、

「つらかったんですね。」とか「苦労されたんですね」とかそういうことをはさみながら「そうですか。そうですか」と聞いていました。

 

すると、出てきたんです。

「本当にごめんなさい。こんなところで母親をしかっちゃいけないってわかってるんです」という言葉が。

別にこの人に謝らせたりするつもりも何もありません。つらかったんだろうな、少しでも吐き出したら楽になるかな、おばあちゃんに手を出すような荒ぶった気持ちがやわらぐかな、と思ってただ聞いていただけ。

ところが「本当にごめんなさい」という言葉がでてきました。

「いやいや、私はとってもよくあなたの大変さがわかったので、他にもわかってくれる人ができたらいいですね」と言いました。

そうしたら、またさらに自分の生い立ちからなにからすべて「そんなことまで見ず知らずの私に話していいんですか」というようなことまでどんどん話はじめました。あまりにもすごい話でしたので本当かどうかは私にはわかりませんが、これはもう付き合うしかありません。全て受け入れることにしました。「うんうん・・」ともう出てこなくなるまで聞こうと思って聞いてました。

最後にまた「本当にごめんなさい。またお会いする機会があるかもしれませんね」といって笑顔になりました。

私がお勘定を終えて店を出るときにはわざわざ席を立って私のところまで来てあらためて丁寧にお辞儀をしながら「ありがとうございました」と言われました。

「ごめんなさい」がいつのまにか「ありがとう」に変わっていました。

 

・・・今朝、こんなことがあったんですよ。私にはできる限りの笑顔で答えるしかありませんでしたけと。
帰りながら今朝起こったことについていろいろと考えました。

私はカウンセリングをしたんだな

「傾聴」ということについてはもう6年前からの私の「ミッション・ステートメント」の一つですが、話を聞くということの大切さはよくわかっているつもりです。保護者のクレームなども全てこれで乗り越えてきました。

しかし、今回わたしは傾聴ということからもう一歩先に進むことができたのかな、と思いました。カウンセリングのようなことをしてあげることができたんじゃないかなと思ったのです。
私はカウンセラーではないけれども、カウンセリングの大切さはよく知っているつもりです。カウンセラーの人と何気なく話していると、気が付くと自分のことをいつのまにかボロボロと話していることに気づいたことが有ります。それも2度も。「聞いてくれる」という気持ちからあれこれ話してしまったようです。気持ちがすっとした覚えがあります。カウンセリングの力は偉大です。

今回私がカウンセリングをしたんじゃないかなと思ったのは、この人が荒ぶっていた気持ちがいつのまにか「ごめんなさい」になり、最後は「ありがとう」という言葉として出てきたからです。さんざんつらい思いで荒れていた人が「ありがとう」という気持ちになったのです。それで私は思いがけずにカウンセリングをしてあげることができたんじゃないかな、と思ったわけです。

いやいや、カウンセラーじゃないので、「カウンセリングらしきこと」をしたんだな、という方が正しいでしょうね。

私は、おばあちゃんに手を出すほど荒ぶっていた気持ちが、「ありがとう」の気持ちにかわったことを本当に嬉しいと思いましたし、そういうことが自分にもできたことが嬉しくもありました。

よくない行動をする人ってやはりなにか自分の中で折り合いがついてないんだな

このお母さんは、人前で母親を厳しくしかることがみんなを不快にさせることだということはよくわかっていました。しかし、どうしても許せない母親という気持ちが抑えがたく、つい人前で母親に手を出す、という行動にでていました。

わかっているのにやってしまう。

子どもの虐待も同じでしょうね。我が子に手を出すのはよくない。しかし心の奥底にあるなにかに堪えられずに子どもに手を出してしまう。そうしてそのような情けない自分の行動に「子育てのため」という理由付けをして正当化し、苦しむことから逃げ、思考停止し、虐待を繰り返してしまう・

いじめだってそうかもしれません。やっていることがいじめだと気づかなかったりわからなかったりする事例も多いですが、「わかっていてするいじめ」もたくさんあります。そういう子たちは自分がやっているのはいじめでありよくないことだということはわかっていますが、「それでもこいつイライラする」とか、「見ていて楽しい」とかそんな気持ちと折り合いをつけることができずにいじめをエスカレートさせ、「正当化」の方におりあいをつけてしまう。ことが大きくなってからはも、「大変なことをしちゃった。どうしよう。罰せられるのが怖い」という自分への後悔とか「いじめられるあいつがわるい」などという気持ちの方が強く、相手に対してわるいことをした、という「反省」の気持ちはなかなか起こらない。

よくないとわかっているけど正当化してしまう、ということは世の中多いじゃないですか。

このお母さんも良くないと思いながらも、自分にこれまでさんざんつらい思いをさせてきたんだから許せないという気持ちと折り合いを付けられませんでした。

最初に私が注意した時、私をきっとにらみつけたお母さんでしたが、そのまま終わっていたら、私にとってこのお母さんは「人前で母親に手を出す悪い人」のままだったろうし、きっとこのお母さんも気持ちのやり場がなく救われなかったなあと思いました。

このお母さんだけでなく、つい悪いことをし続ける人もどこかで気持ちの折り合いをつけられたらいいんですが・・・

担任をしているときに、こんなことができればよかったな

担任時代は悪いことをする子どもをどうしても厳しくしかってしまうことが多くありました。「なんでわかってるのにやるんだ!」みたいなことを繰り返していて、言われた子どもは「ふん!」と反発するか、「私が悪うございました」と上手に反省し続けるか、なにも言えずにだまりこくっているか、そういう状況しか生み出せず、いろいろと悩み続けたことを思い出します。

「なんでわかっているのにやるんだ!」という質問、いや詰問には答えられませんよね。だってわかっているのにやっているんだから。

 

でも、私の担任時代が終わりに近づいたある年、ようやくこれでよかったかもしれないな、と思える生徒指導の事例をつくることができました。

その子は私の前では良い子で、私の見えないところで友達をいじめたり脅かしたり、といったことを繰り返していました。しばらくしてそのことを掴みましたが、その証拠をつきつけてもこの子はまた同じことを繰り返すに違いないと思いました。

そこでお昼休みに別室に読んで話を聞くことにしたのです。「これまでやってきたことはわかってる。おこるのは簡単だけど、おそらくそれが解決にはならないから、いっしょにこのことを解決できるようにさぐっていこう」と切り出しました。なぜおこらないのかな、という顔をしていましたが、自分が友達を影でいじめるわけをいろいろと2人で探っている内にだんだんと学年を遡っていきました。

そうすると思いがけないことが起こりました。ずっとさかのぼっていくうちにある学年に辿り着き、そこでの話をしているとその子が号泣してしまったのです。自分でも何が何やらわからない様子でした。その学年での「あること」がその子にとって後の学年でかげでいじめを行うタネになっていたのかもしれません。その子はひとしきり泣いてました。「そのことが何か関係があるのかなあ」と言うと「わからないけどなんだか泣けてきた」と言いました。その後はさっぱりしていましたからこの方法はきっとその子にとってよかったのかもしれません。

怒ったり反省させたりしてもその場で終わりです。回数多く叱られている子ほど上手に反省します。

だから、できれば一緒にさぐっていこうというような解決がその子の成長にとってよいことではないかな、と思います。

7つの習慣でコヴィ博士がいっていることは本当だなあ

7つの習慣という本があります。ずいぶん前に出た本で世界的なベストセラーです。この中で、著者は「私が人に影響を与えられるのは、その人が私のことを影響を与えることができる人だと認識した時からだ」というようなことを述べています。
簡単に言うと、人は私の話を聞いてくれる人の話しか聞かないものだということができるでしょう。
今回、「やめてください」と言った時には「わかりましたよ!」と言いながら睨みつけられました。わかりましたよと言いながら全くわかるつもりがないことがありありと伝わってきました。

ところがいったん私が話を聴き始め理解し始めると、私のことを「話を聞かせられる人だ、私が影響を与えられる人だ」と感じてくれたのでしょう。一気に「ごめんなさいね」へと展開して行きました。私がその人から影響を受けることによって、私がその人に与えたい影響を与えることができたのだとも言えます。
改めて、コヴィ博士の言葉を実感した瞬間でした。

この人、またどこかでだれかに話をきいてもらえたらいいな

このお母さんは、今回はこれまでがんばってきた辛い思いをたまたま私に話すことができました。
しかし、同じことはまた繰りかえさられると思います。
その時、自分がこんなに辛いんだという気持ちを話すことができる人がいてくれたらいいな、と思いました。
そうしないとまたおばあちゃんへの虐待が繰り返されるかもしれません。
このお母さんが、自分があるがままの姿で安心して話をするということの大事さに気づいてくれて、今後カウンセラーの役割をしてくれる方に出会われることを願うばかりです。

最後に一つ。

こんな私にもできることがあるんだな

2013-12-07 20.09.16

クリスマスのイルミネーション

 







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